015_契約書というカタチはないけど契約はあります(๑•̀д•́๑)キリッ

カタチになにか決まりはあるのかと言われれば、ほとんどありません。
来年4月に施行される予定の改正民法には、これまで明文化されていないかったことがハッキリ書かれました。


【改正民法】
第522条第2項
契約の成立には、法令に特別の定めがある場合を除き、書面の作成その他の方式を具備することを要しない

これまで明文化されていなかったからといって、上記は特に新しいルールでもなんでもありません。従前より民法の根本の考えとして「契約自由の原則」という考えがあります。契約自由の原則は、以下の4つに類型化されています。

① 締結自由の原則 ~契約を結ぶかどうかは自由~
契約をすること自体は義務ではありません。別に断ってもいいのです。
「あなた!お客に対して物売れないなんてどういうこと?」
「締結自由の原則です」
「ちょ審査の結果お断りってマジわけわかんね草」
「締結自由の原則です」
「ワレ、わしと取引できんとはどういう」
「締結自由の原則です」

② 相手方自由の原則 ~誰と契約しようが自由~
誰と契約しようが、それは自由です。
「ワレ、あいつとは契約すんのになんでわしとは」
「相手方自由の原則です」

③ 内容自由の原則 ~どんな内容の契約をしても自由~
これは結構制約があります。公序良俗に反する内容は無効(民法90条)ですし、金銭の貸付について法定利息を超える利息契約は無効(利息制限法)です。
その他、事業者と強弱関係に立ちやすい消費者契約などにも消費者を保護するための特別ルールがたくさんあります。

④ 方法自由の原則 ~カタチにはこだわりません~
これが本日の本題。
一部例外的に、保証契約のように書面でしなければならないものはありますが、その場合は、ちゃんと法律に書いてあります。そうでなければ自由です。口頭契約上等です。この原則を明文化したのが、冒頭の 改正民法第522条第2項 です。

さて、ここのところ、大手芸能事務所とその所属タレントとの間にあたかも「契約がない」というニュースが流れていますが、ちょっと正確ではないと思われます。
確かに、“契約書”という方式がないかもしれません。しかし、仮に口頭でも事務所とタレントの間に営業や出演についての合意が形成されていれば、それは立派な契約です。
ましてや、専任でマネジメントをする担当者が事務所より配属され、継続的な報酬が口座に振り込まれているのであれば、それが雇用であれ、請負であれ、委任であれ、継続的な契約が存在するのに十分な事実関係が認められます。

ただ、常識的に考えて、ふつうは契約書や規約などの書面への同意の証跡があるだろうと考えられるところ、それがない!というこの世界独特な文化が知れ渡ったことで、驚いてしまうのも事実です。

民法の原則では、契約解除には「債務不履行(契約違反)」をしていることが前提となりますが、契約書での取り決めがなければ、限られた事由でしか解除できません。マネージャーさんとタレントさんが、
「この仕事をしてきてください」「ハイわかりました」
と合意したのに、そのタレントさんが仕事をやろうとしない。業を煮やしたマネージャーさんが相当な期間を定めて「やってください」と催告したのに、やはりぜんぜんやろうとしない。この場合は解除できます。

一方で、事務所に無断で芸能活動をしたことを解除事由にしたいのであれば、その旨をあらかじめ契約で定めておかないと、証明するのがとても難しくなります。たとえばざっくり言いますと、

第●条 タレントは、事務所を通じてのみ芸能活動ができる。
第○条 タレントが、次の事項に違反した場合は、事務所はタレントとの契約を解除することができる。
① タレントが第●条に違反したとき

という風になっていると、この●条の違反したことが債務不履行だとはっきり言えるのです。
テレビ番組で、「そもそも契約もないのに解除なんてできるわけないだろ」と弁護士さんが発言したということも伝わっていますが、それはこの趣旨を指摘したのだと考えられます。

今般の一連の芸能ニュースは、「そうはいっても契約書が必要」ということをハッキリとさせてくれるきっかけにもなりました。契約書は決して強者の武器だけではありません。弱者の防具にもなります。しっかりと契約書を締結しましょう。

なお、契約の相手方が反社会的勢力である場合はまったく別の話で、それは非常に深刻かつ重大な問題なので、 今般はあえて触れていません。

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